備前天津神社の創建は応永18年(1411)と言い伝えられています。
創建当初は現在の地と別の場所にありましたが、天正7年(1579)に御神託により現在の場所に移ったそうです。
その当時の備前伊部は疫病によって苦境に陥っていました。そんな折、当時の村長の夢に神様が出てきて「神社の場所を移せば病は鎮まる」というお告げがありました。
それがご神託で、ご神託通り神社の場所を移すと病が鎮まったそうです。
そしてその移った場所にある神社こそが今の備前天津神社で、備前天津神社では村長の夢でご神託を告げた少彦名命(すくなひこなのみこと)という神様を祀っています。
(岡山県神社庁HP参照)
備前天津神社は病気平癒・学業成就・陶業繁栄の氏神様としてあがめられています。
(岡山県神社庁HP参照)
備前天津神社の祀る神様少彦名命は祀っています。少彦名命は医薬・病気平癒の神様であり、前述の通りご神託によって病を鎮めたことにより、備前天津神社は病気平癒の氏神様として敬われています。
備前天津神社は学業成就の氏神でもあります。
備前天津神社が学問の神様となったのは学問の神様として知られる菅原道真公との関わりによってです。当時の備前伊部には道真公の菅原家が管理する荘園領がありました。そして、道真公が九州に移る際に備前の地に休憩に立ち寄られました。道真公が休憩中に腰掛けたという石は履掛石と言われ、今の伊部西にある履掛天神宮に残されています。こうした道真公と備前の地の深い関わりにより備前天津神社は学業成就の氏神としても崇められています。
備前天津神社の最大の特色は、何と言っても備前焼の郷の氏神様であり備前焼との関わりが深いことでしょう。神社の神門・随身門の屋根瓦は備前焼製で参道脇に備前焼窯元作家らの多数奉納されており、神社の境内は備前焼で彩られています。また毎年5月15日には、備前焼業界最大の団体岡山県備前焼陶友会会員が参列する例祭が行われています。
(全国商工会連合会HP参照)
天津神社の歴史は古く、応永18年(1411)以前の創立で、御神託により現地に移ったのは天正7年(1579)と言われています。
建物の歴史的価値も高く備前市市指定文化財に指定されています。
「本殿は、延宝6年(1678)の建築で蟇股、虹梁、木鼻の繰形が特にすばらしい流れ造りの堂々とした一間社で、江戸前期の一間社建築としては例のないすぐれた建築である。」(備前市HPより)
備前天津神社では年間を通じて種々の催し事、お祭りを行っています。
備前という地域の特性上、備前焼関係者が関わる行事が沢山あります。
また最近力をいれているのは次世代への伝統の継承です。
神社体験という行事を実施し、子ども達に礼法や作法の伝授、神話の読み聞かせ等を行っています。
神社体験では、茶道やお正月のお飾り作り、備前焼の土ひねり体験等、実践的な学習も行われています。
岡山県神社庁
http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=07124
備前市HP
http://www.city.bizen.okayama.jp/shimin/etoko/shimin/bunka_s/amatsu2.html
全国商工会連合会
http://www.shokokai.or.jp/33/339885003R/index.htm